姿勢を作りながら目や手の使い方を高める初期学習を経て、文字・ことば・数の学習に入っていくために「同じ」「違う」という見本合わせ学習は避けては通れない・・・と思いつつ、初めてこの学習に取り組んだ時、それまで行っていた初期学習とはまったく別の世界に足を踏み入れたという違和感…一種の悩ましい感覚…を持ったことがありました。後で、この“悩ましさ”は私の認識不足からくるもので見本合わせに限らずすべての学習に通じるものだと気が付くのですが…
その“悩ましさ”とは何だったのでしょうか。
それは、教師が設定した問題に子どもが答えを出しその正誤が判断される、つまり、教師が正解を持ち子どもを「できた/できない」で評価するという、世間一般では当たり前の形式からくるものでした。
○△のはめ板にも正解はあり、輪抜きなら抜けたかどうか、ボール入れなら入ったかどうか、机に肘をついて体を起こしたかどうか・・それぞれ正解はあったけれど、結果よりも、こんな体の起こし方があるのか、こんな風にボールを入れたり外したりするのかとその子が何を考えてどんな風にその課題に向かい合ったかの方に目が行っていました。ところが、見本合わせ学習のように選択肢が提示され正誤が明白になる課題では「できた/できない」に目が行き学習が子どもを評価することにすり替わりやすく、ありきたりな○×問題の答え合わせのように「その答えは間違っています」と言わなければならなくなる。たとえば、●と▲のはめ板形式で○の穴と同じ形を選ぶ見本合わせなら、見本の○の穴に▲は入らないけれど●は入るので●が正解と自分でわかる。でも、カードに描かれた平面図形で行うと、重ねれば●も▲も入ってしまうので、教師が正誤を伝えることになる。このようなことを続けていくうちに、これは偶然できたのだとか、何回出来たら本当にできたことになるのかとか、繰り返せばできるようになるだろうとかいう話さえ出てくる。こんなやり取りが嫌になり教材を放り出して席を立ち飛び出してくれるような子はまだいいけれど、じっと固まってしまったり、教師の顔を見て正解を探したりするようになったらもう、学習とは言えず関係が悪くなるばかりとなる。学習は“自発”が基本、自分で考えて答を出すことだったはずなのに… “子どもの自発”を基本にしてきた初期学習とはずいぶんかけ離れてしまったのではないかという“悩ましさ”に行きつきます。
先日の研究会では、なかなか学習にのってくれないと言われていたお子さんが、大好きなアンパンマンの絵を使った見本合わせ学習を始めていく様子を見せていただきました。
たくさんのカードの中から大好きなアンパンマンのカードを見つけ拾い出すことができるのは複雑な図柄を区別できているということ。一瞬のうちに図柄を見分けて集めます。キャラクターに限らず、色、形、材質、手触り、何らかの基準ですばやく物を区別し集めていくお子さんも多々います。自分の基準で、自分だけの世界で、いわば内向きの行動として物を区別し分類していきます。教師が提示した見本と「同じ」物を選ぶ見本合わせ学習がこのような分類をすることと一線を画しているのは、そこに教材を挟んで子どもと向かい合う教員の存在があり、自分以外の外部とのやり取り、外向きの行動が必要とされるということでしょう。教師の「問い」に子どもが「答」を出すというやり取り、ある意味、この学習は初めてのわかりやすいコミュニケーションといえるのかもしれません。このようなやり取りに、どのように向かい合っていくか、教師はどのように「問い」を子どもに伝えるか、子どもの「答」をどのように受け止めるか。子どもはどのように納得しているのか。「できた/できない」という評価以前に、相手ときっちり向かい合い教材をもってやり取りするという局面が生まれます。見方を変えれば、前に述べた“悩ましさ”のあるおかげで子どもたちと向かい合うことを改めて問い直すことができるわけです。
重い障害のあるお子さん、動きの激しいお子さん、視覚・聴覚の情報を取りにくい/取りすぎるお子さん、様々な子どもたちと関わる中で“子どもとの関わり”ということばをよく使いますが、関わりとは難しい。子どもたちに限らず人との関わり方、人との間の取り方は難しいなあと思います。相手にきちんと対峙すること。寄り添って同化するのでもなく、上下関係を作って指示したり評価したりするのでもなく、ただ受け入れるだけでもなく、なごやかであっても緊張感がある…できなくても理想は持っていたいなと思います。
なかなか学習が成り立たなかったお子さんが大好きなアンパンマンをきっかけに見本合わせ学習に取り組むようになり、表情も姿勢も変わってきたという実践にとても感心したので、それを書こうと思ったのに話がそれてしまいました。
・「同じ」ものが世の中に存在するのだろうか?
・「同じー違う」は「正-誤」ではない?
・「同じー違う」はものを分けるための一つのルール
・「違う」ものは排除するのではなく、きちんと分けて取り置く
・見本には「同じ」「違う」という二つの意味が含まれる
まだまだ見本合わせ学習をめぐっては様々な観点があるので、折々、触れていきたいと思います。
※興味のある方は進一鷹先生が監修された九州・山梨重複障がい教育研究会編『重複障がい教育論文集―われわれの教育実践を深めるために―』に収録された中島昭美「見本とは何か」をぜひお読みください。
2026.7.16 間野 明美
