コラム no.2:かなえさんの「はつもうで」

2026.1.13

 昨年末、施設で暮らしているかなえさんと久しぶりにお会いしました。散歩したり、手のひらに人差し指で文字を書いたりして一時を過ごし、とても元気にしている様子がわかりました。しばらくやり取りした後、かなえさんの手を取りその人差し指で文字を書こうとすると、かなえさんはやにわに靴下を脱いでみせたのでどうしたのかと思うと、一呼吸おいてにやりとして、またちゃんと靴下をはいてみせてくれました。そういえば昔…と、かなえさんが4~5歳の頃、お父さん、お母さんと一緒に重複障害教育研究所まで毎月通い学習していたこと、それに同伴させていただいていたことを思い出しました。   

 当時学生だった私は、かなえさんのお母さんから、弱視で難聴であること、研究所で中島先生に教わりながら教材を使って関係づけの学習をしていることなどをお聞きして、研究所で行っている学習の見様見真似で作った教材を使ってやり取りをはじめました。かなえさんのお母さんにはずいぶん助けられました。その頃のかなえさんは活動的で鉄棒が大好き、学習を始めようとすると、さっと靴下を脱ぎ棄て裸足で鉄棒にぶら下がってしまい、勉強の合間の鉄棒か、鉄棒の合間の勉強かという状況でしたが、その身軽で敏捷な動きには驚かされました。かなえさんの足の裏は目でもあり手でもあったので、靴下などはいてはいられないと思っていたのでしょう。

 電池入れや輪抜き、様々な型はめなどの学習から、しばらくして見本合わせ学習に取り組むようになりました。○△□などの木片を使ったはめ板では穴に合う形を選んで入れることはできたのに、同じ形の切片を選んで並べてもらおうとすると、なかなかやってくれません。同じ形の切片を重ねては手に持って遊んでいるのに、決して見本と並べて「同じ、できた!」とはしてくれません。この見本合わせ学習ができたら、また一歩、文字・ことばに近づくのに…と思いながら、いろいろな教材を試してみていました。そんなときに中島先生から、「重ねる」が触覚的な行動であるのに対して「並べる」は視覚的な行動なのだとお聞きしました。そこで、かなえさんが触覚を大事にしているのなら触覚を使った教材をと考え、同じか違うかを布やサンドペーパーなど様々な触感の違いで判断して並べる教材を作ったところ、かなえさんはサンドペーパーを大変気に入り、それに触ることに専念してしまい、もう見本合わせとか勉強とかの状況ではなくなってしまいました。そのうえ、触りすぎて人差し指の先を少しすりむいてしまい、猛烈に怒ってしまったのです。面白い触感に興味を持ってくれたのはいいけれど、かなえさんにしてみれば指先は足の裏と同様に目のような役割もしているのだから怒るのは当たり前、大変申し訳ないことをしてしまいました。というよりも、もとはと言えば、私が、触覚教材=ふわふわ、ざらざらなど面白そうな触感をあれこれ提示するもの、と短絡的にとらえてしまったことが根本的な誤りでした。なぜ木片を重ねて形を確かめるのか、触覚を使うとはどういうことなのかということに思いが至りませんでした。与えられた様々な触感を楽しむことと、手や足など自身の身体の触覚を使って探索し対象をとらえていくことではずいぶん異なります。触感と触覚の違いは、受け身な状況に陥るか、自発を呼び起こすかという違いにもなります。

 「同じ・違う」という見本合わせ学習に奮闘し、あと一歩というところでかなえさんとの学習は終わってしまいました。それから、かなえさんは盲学校に入学し、その後多くの先生方と学習を重ね文字を書くようになり、今も施設で文字の学習を続け立派に暮らしています。長く学習を続けられたのは、学習することそれ自体が楽しかったからだろうなと思います。そんな中で、靴下を脱いで、でも、またはいて見せてくれるところなど、昔のかなえさんらしさが残っていることもうれしく思いました。今年もお正月には家に帰り、ご家族で初詣に行ったそうです。おいしいものをたくさん食べて楽しく過ごし、にこにことさよならをしてまた施設に戻っていったそうです。きちんと自分で納得して日々を過ごしていることがわかります。小さいころから学習してきたことが、単に文字や数がわかるというだけでなく、今のかなえさんの生活を納得のいくものにして支えているのだろうと思います。

 かなえさんの人差し指や靴下から、ずいぶん昔のことを思い出しました。

間野明美